「医は仁術」展 国立科学博物館 その1

DSCF0007 - コピー IMG_0001 - コピー何年か前に某テレビ局で人気コミックを映像化された「JIN-仁ー」というドラマは御存知の方も多いと思います。現代の医師が幕末にタイムスリップして、近代医療の夜明けに活躍するといううもの。ドラマのベースにある「医は仁術なり」の精神と国立科学博物館が所蔵する医学的歴史資料に興味があり訪れてみました。 DSCF0014 「仁」とは儒教の思想で、5つの徳「仁・義・礼・智・信」の1つで 他人をおもう思いやりの心のこと。   「 医は仁術なり 」は江戸時代の儒学者 貝原益件 かいばら えきけん  (1630~1714)の言葉で健康的な生活を送るための教訓書「養生訓」でてくる言葉です。 養生訓の中では 「 医は仁術なり。  仁愛の心を本とし、人を救ふを以て志とすべし。 我が身の利養をに志すべからず。 天地のうみそだて給へる人をすくひたすけ、萬民の生死をつかさどる術なれば、医を民の司命と云ふ。(~省略~) もし、其の才なくば、医の子なりとも、医とすべからず。 他の業を習はしむべし。 不得手なるわざを以て、家業とすべからず。 」 と記しています。 現代訳すると「 医は仁術である。 それはあらゆるものを慈しむ心を抱き、人を救わんとする志が根本にあります。 自分の利益や得にばかり心を傾けてはいけない。  人は世の中に起こるすべての現象によって育つ、 それを救い助け、その生死を左右する術であるからこそ、医は人の生死をきめる権限があるのである。(~省略~)もし、医の才がないのであれば、医の子であったとしても医とすべきではない。他の業を修得するべきである。 わざわざ不得手なる業を、家業とすることはないではないか。 」 とのこと。 恥ずかしながらこのような養生訓は大学では学んだ記憶がなかった。300年以上も前の訓に納得し、身の引き締まる思いである。 この展覧会は、日本の医療の進歩にはこの「仁」が基本にあるとして、5つのテーマに分け時代別に貴重な資料をもとに展示していました。   第一章「病は、いつの時代も、身分の貴賤なく、人々を襲う。」   図2                         図3 まだ医療の知識がなかった時代に人々は、疫病を魔物にみたてて恐れたりしていました。 歌川国芳は歯の痛みにはすべて歯を抜いて入れ歯にすれば痛まないなどと、少し乱暴な風刺画的浮世絵がありました。この時代に入れ歯の存在があることに驚きです。                         第二章「東から西から~医術の伝来」IMG_00012- コピーDSCF0035 西から西洋医学の祖 ヒポクラテス・東から中国医学の祖 神農。西と東からの知識が融合して、江戸時代に伝来。 左はアリストテレス像 右の書籍は1645年 ドイツ人 レメリンによる人体解剖図。紙を張り合わせ西洋でも画期的であり各国で訳されたました。                     第三章「医は仁術~和魂漢才・和魂洋才の医」 図1 東西と漢と蘭の技術と知識が和の魂の「医は仁術」として日本独特に発達し、一般社会に広がりを見せていく。また、江戸時代 すべての人々に対して行われた。 上は1693年 「救民妙薬」 水戸光圀が民衆の病気救済のために野草などの薬物を用いて、病気に対する処方がかかれており大正時代まで使用された。当時の人々の健康の関心がわかります。 下は「霊芝」の薬草と「竜歯」のマンモスやサイの歯で鎮静剤として使用されたという。           図6 1754年 日本で初めての国の許可を得て人体の解を記したのが山脇東洋 左から「背骨側面図」「九臓前面・背面図」「剥胸腹図」 図5                       1774年 蘭学の始まりとなった 右図「解体新書」 杉田玄白・前野良沢らが蘭書ドイツクルムス著 左図「ターヘル・アナトミア」をもとに腑分けをして3年をかけて正確な翻訳をした歴史的な書. 多くの外国からの情報が入ってきていた当時、人体を腑分け(解剖)することは禁じられていた。医療を学ぶ人々は外来書を参考に試行錯誤をして知識をえていたことがよくわかる。                                                  

千葉県松戸市 ひかり・歯科クリニック

投稿日:2014年10月4日|カテゴリ:院長ブログ